頑張って、いろいろと試しているのに状況が変わらないって、あるものです。
変わらない状況に対して、いらだちの感情が入り始めると、「状況そのものを受け入れる」ことができませんので、自分が壁につきあたっていることにも気づけなくなってしまいます。
そんなときは、いろいろと試していること(アクセル)ではなく、「ここから先は嫌ということ(ブレーキ)」に焦点を当ててみるのも一手だと思います。
そうすることで、「壁の原因は、自分自身の側にあった」ということに、気がつくことがあるからです。
ネット上で、告知(あるいは営業)活動を始めたばかりの方は、この状況になるケースが多いように思います。
心のどこかに不安(ブレーキ)を抱えたままだと、ちょっとしたネガティブな反応に「あぁ、やっぱり」となってしまい、先に進めなくなります。
アクセルとブレーキの両方を同時に踏んでしまっていると、私的に感じる例を思いつくままに挙げると、
- フリーランスの方など、自分のことを覚えてもらうためにSNSで発信しているのに、アイコンがペットや花の写真。
- SNSでの発信に反応が欲しいのに、自分からは反応しない。
- マーケティングのためにデータを収集しているのに、自分がネットを使うときはシークレットモードでクッキーも受け入れない。
- オープンソースのツールを使っているのに、自分の文章や写真がシェアされるのは嫌。
- 自分の仕事のことをわかってもらいたいのに、他人の仕事のことをわかろうとしない。
- SNSやブログで自分の想いを伝えるのはいいけど、ランサーズやクラウドワークスなどで、自分の履歴的なことを公開するのは嫌。
などなどです(批判ではありません、念のため)。なにか気がつくことがあれば、ブレーキのほうを「微調整」してみればよいだけのことです。
でも、こと人間関係ということになると、そうもいってられないように思います。気付かないと苦しくなりますから。この点についてのタマキさんのツイートが、とても素晴らしい表現をしていていて、私の目に留まりました。
いかがですか?
「なるほど!」ですよね?してみると上に挙げた例も、「鏡の法則」でまとめられそうな気がしてきます。
人間関係の場合にこうしたことに陥るのは、「不安」というよりは、自分のやり方を変えたくないという「プライド」の場合が多そうです。
繰り返しますが、これ批判ではありません。やはりこの場合も、なにか思う事があれば、ちょいと焦点の向きを変えて、行動を「微(←ここが重要)調整」してみればいいだけのことです。
〇 微調整にこそ突破口あり?
ところで話は飛躍しますが、アクセルとブレーキを同時に踏むというと、私なんかは「セナ足」を思い出します。
そう、F-1パイロットだったアイルトン・セナの足のことなのですが、とても貴重な動画が、今もYouTubeに残っています。ハンドリング、回転計とスピードメーター、そして「足の動き」を同時に撮影したものですが、右足でアクセルとブレーキをコントロールする技は、まさに神技です(こちら)。
「自分の人生も、細かな微調整を繰り返すことで、こんなふうに自由自在に繰ることができたらなぁー」なんて思ったりもします。
私は、「思考はハンドルで感情はエンジン」だと例えて話をすることがありますが、操作を大きく変えようとしてしまうと意図した通りには前へ進まないものだとも思っています。そのイメージの元がこの動画です。
あ、良い子の皆さんは、リアルの一般道でセナ足の真似しようとしちゃダメですよ。やるならコースに出て練習しましょう!
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