実生活では、消費の反対語は「生産」ですが、ネット上では「発信」だと感じている今日この頃です。
どうでもいい下らないことのように聞こえるかも知れませんが、「発信することが消費することの反対」だということは、発信することは何らかの価値を生み出しているはずだと思えてきます。
なぜそんなことを急に考え始めたかと言うと、メディアの利用時間に関する調査結果が総務省から公表されたというこのツイート。毎年恒例の調査(こちら)なのですが、ネットの利用時間が初めてテレビを超えたのだそうです。
コロナ禍にあって、仕事をしたり授業を受けたりといったことが、ネット上でも行われるようになったことが大きな影響を与えたのだと思いますが、年代による偏りの大きいこと!
私は、ニュースを公営放送のネット配信で見られるようになってからは、ほとんどテレビ番組を見ることがなくなりました。気が付いたらそうなっていた状態なので、これが原因ということはないのですが、「昔を懐かしむ系」の年代高めの人向けの番組が多くなって、その雰囲気に引っ張られることが気にはなっていました。
ただ単にボーッと眺めることが目的であればそれはそれでいいとは思いますが、業務でパソコンの画面を見る時間が長いと、画面からは解放されたいですよね?なので私的には、ボーッとする仕方(変な表現ですが)がテレビである必要性は全くないです。
あ、でもこれは、年齢的に目が疲れやすくって来ただけかもしれません(滝汗)。
今回公表されたのは去年の調査結果をまとめたものですが、もしかすると1年経過した現在は、年代高めの方々のネット時間がもっともっと増えているかも知れません。
あくまで私の肌感覚ですが、Twitter にも最近は「アラカン」や「アラフィフ」であることを公表している方が増えていると感じていますし、パソコンやスマホアプリの使い方などを解説している YouTube 動画でも、シニア向けに懇切丁寧に解説しているものが増えていると感じています。
考えてみると、ネットに慣れていない方のスマホの使い方としては、最初は写真を撮るなどして家族と交換して楽しむというところから始まって、慣れてきたところで YouTube や Twitter など、不特定多数向けに発信されたものを楽しめるようになって、次に自分も発信してみたくなるというのは、自然な流れのような気がします。
〇 発信の英語訳は、”publish” がピタリとはまる
話は飛躍しますが、「発信」という言葉の英語訳は “publish” が当てはまる場合が多いようです。
「発信」は、辞書的には “transmit” でしょうが、これは受信・送信の送信というニュアンスが強くなるので、日本語的な発信の意味とはかなり違います。じゃあ何が相当するかというと多分 “publish” だと思います。
”publish” は、日本語では「出版」という「紙の本」のイメージが強いので、ネット関連の言葉として「出版」を使うと的外れになりますが、”publish” はもともとは「公に知らせる」という意味です。
〇 発信をパブリッシュと考えると・・・
というワケですので、出版の英語訳としては “publish” がピタリとはまりそうですが、今度は逆に、ブログや SNS での投稿をすることは、「パブリッシュ」していると考えると、なんだかちょいと身が引き締まるようでもあります。
媒体が本という名の紙しかなかった時代には、出版(生産)する側とそれを消費する側との間の距離感はとても大きかったワケですが、それがネットのおかげで境界が限りなく小さくなったワケですよね。
また、発信するということは、同時に「学ぶ」ことでもあります。
ならば、「生産」するだけでも「消費」するだけでもない、将来を見据えて学ぶという「投資」する側でもあると考えると、いよいよ境界線なんて存在しないようにも思えてきますが、いかがでしょう?
フリーで発信しているものとはいえ、貴重な時間を使って読んでいただくことを前提にしているワケですから、なにか感じる事があるような、そんな発信を続けていきたいと改めて思った次第です。
というワケで、ここまでお読みいただいた皆さん、発信仲間に加わりませんか😉?
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